ランニングしていたら目の前をイノシシが横切っていったのでかなりビビったしんこです。
ところでイノシシに出くわしちゃった時って,どうすればいいんだべ?
こちらの続き。
しんこの鉄ちゃん史③ 小学校中学年から高学年の頃
喜茂別から札幌市白石区へ
小学3年に進級直前の3月,喜茂別から札幌市白石(しろいし)区へ引越ししました。
札幌市白石区は,宮城県白石市の人たちが入植した土地で,その郷里の名から白石村と命名されました。
昭和25年に札幌市に編入されて現在に至ります。
北海道にはこのパターンでつけられた地名も多く,有名なところでは北広島市(広島県広島市)や伊達市(宮城県伊達市),新十津川町(奈良県十津川村)がありますね。
ところで札幌市白石区には宮城県繋がりの名残りなのか,仙台銘菓「白松がモナカ」の札幌工場があったりします。
北海道の大動脈 函館本線・千歳線
白石駅は札幌駅から東に向かって2つ目の駅で,旭川方面に向かう函館本線と苫小牧方面に向かう千歳線の複々線と,東札幌駅へ向かう貨物線が通る北海道の大動脈にある駅です。
鉄道官舎は駅から少し離れているものの,列車が良く見える線路沿いにありました。
富内線や胆振線は言うまでもなく,苫小牧でも経験したことのない頻度で目の前を列車が行き交います。
これは興奮しますよね。
刺激が多かった分記憶している情報量も多く,何から書いたらいいやらという状態で,うまく纏まらないかも。
なお東札幌からの貨物線は1986年11月1日に廃止されました。これまた富内線・胆振線廃止と同じ日です。
車両形式は自分で見て覚えるしかなかった
1975年当時の小学3年生には北海道の鉄道車両に関する情報は全くと言っていいほどありませんでした。
書店で買ってもらった,小学館入門百科シリーズの「機関車入門」や「電車なんでも入門」に記載されているのは”内地”の車両がほとんど。
そもそも北海道の主力である「気動車入門」がないですもん。なので車両の形式は自分の目で見て覚えるしかなかったですね。
列車については「弘済会の道内時刻表」が参考書でした。
捨てずにとっておいたはずなのですが,どこにしまい込んだのか見当たりません。
特急列車
北海道の玄関口は函館
まずは特急列車の思い出から。
この当時,自宅からは道内を走る全ての特急列車を見ることができました。
今でこそ”特急”という名称が一般的になっていますが,本来の意味は”特別急行”で,北海道の駅構内や車内の案内放送はずっと”特別急行”と呼んでいました。
駅構内や車内の案内放送に関しては,急行宗谷さんのYouTubeが時代的にドンピシャです。
当時の特急列車は全車指定席で,列車によってはグリーン車が2両連結されていたり,全列車で食堂車を営業しているなど,優等列車としての格の高さが感じられたものです。
引っ越ししたばかりの頃に道内を走っていた特急列車の愛称は5種。
唯一の”山線”を通る特急列車で,函館本線の全区間を走破していました。
函館ー札幌間の「北斗」
函館ー網走間の「おおとり」
函館ー釧路間の「おおぞら」
札幌から釧路へのバイパスルートである石勝線はまだ開業していないので,滝川から根室本線に入り富良野経由で帯広・釧路方面へ向かっていました。
「おおぞら」は最大13両編成で運転されていた列車もあり,人気の高さがうかがえますね。
「おおとり」と「おおぞら」は札幌に停車したあと進行方向を逆方向にして目的地へ向かう都合上,白石ー札幌間を往復するので,短い間に2度眺めることができる"お得"な列車でした。
そして最後に札幌ー網走間の「オホーツク」。函館に発着しない唯一の特急列車です。
こうしてみると当時の北海道の玄関口は函館で,青函連絡船で到着した乗客が道内各地の内陸部へ行けるようにダイヤが作られていたことがわかります。
キハ82系特急型気動車
道内の特急列車に使用されていた車両は気動車のキハ82系のみで,趣味的には面白みがありませんでしたが,自分にとってはまさに”特別”な存在。
貫通型でありながら風格のある面構え。電照式の列車愛称表示板に逆三角形の特急シンボルマーク。
屋根の上にはキノコ形の冷房装置を搭載し,ディスクブレーキを装備。台車の隙間からディスクブレーキをキラッと光らせて走り去るのですが,これがまたカッコ良かったんですよ。
そんな気動車ばかりの特急列車でしたが,引越ししてから約4か月後の7月18日,新しい電車特急がデビューするのです。
つづく。